No Hobby No Life
テクノロジー信奉者の神棚です。
現在に至るまで、私達が抱える沢山の問題・不安をテクノロジーが解決してくれました。今も、未来に先送りされた問題は、テクノロジーが解決してくれると漠然と信じています。いわば、知らぬ間に、テクノロジーにしがみついたテクノロジー信奉者です。
「今あるモノの再利用」による社会モデルです。
とかく聞かれる「エコ」は、企業主導型の消費誘導とも思われます。企業は省エネ製品(車、家電等)を購入することが「エコ(CO2削減)に貢献している」と消費者に謳っていますが、企業の製造・流通過程でも、CO2は発生しています。現在起算として「従来製品(旧製品)を使い続けた場合のCO2排出量」と、「エコ製品を製造・流通させ使用した場合のCO2排出量」の比較説明が、本来あるべきと考えています。
「俺も昔は、ワルだった」という人がいます。
今もワルなら、シャバには居ないことでしょう。もしくは、圧倒的な権力者かもしれません。大人が「俺も昔は・・・」と回想馳せる中学時代、男子はワル度・体力・学力、様々なことで競い合います。争いで勝ち抜くことで、大人社会における枠(ステータス)を得ることが出来ると信じています。いざ、大人になると、「枠」を貰ったところで、不安定な平均台(社会)を歩かされ、かえって「枠」すら邪魔だと思う時があります。平均台から落ちそうなとき、「俺も昔は、・・・」というセリフが出るのでしょう。意味が無さそうで、有りそうな他人の思春期、中学生も大人も大差なく、戯言にも耳を貸そうと思う年頃に、私は、なりました。
劇場型ニュースです。
最近、シナリオ染みたニュース報道が多いと感じます。どんな高尚な提言も、重要な事実も、陳腐な演劇に見えてきます。
ネイチャーパンク(山でパンク)です。
パンクは、一国のあり方、政治の問題について、中指を立ててきました。しかしながら、私達を取り巻く問題は、温暖化など、より大きく、地球規模の問題に変わってきています。これらの問題の解決策として、「自然との共存」などという言葉を聞きますが、あれこれ技術を駆使した、人間と自然との対立構造にも見えます。特に技術の無い私には、自然に対して、身一つで、暑さ寒さにもツッパリ続ける、ネイチャーパンクがかっこよく、必要に思えます。
プロレス団体の旗揚げ式です。
大人になるということは、限りなくプロレスに近いと感じています。判っていながら負け、あれやこれや、勝敗以上の価値を作る。周囲を巻き込み、離散と集合を繰り返す。デタラメなシナリオと偶然が織り成す、実しやかなクライマックス。仕事の節目に、季節の折り目に、また新たな自分を旗揚げします。
装甲車です。
戦時体験はありませんが、教育により戦争は、とてつもなく悪い事と知っています。しかしながら、何故に男子は、戦争の道具である戦車や戦闘機に魅かれるのでしょう。闘う姿がかっこいいのか、その形自体がかっこいいのか、私の本能を試験してみました。争いごとは、数多くあるけれど、社会の熟成につれ、戦う尺度は、刻々と良い方向に変化するものだと考えています。
私は、サラリーマンです。
サラリーマンの生活は、まるでパチンコ台のようなものです。パチンコは、パチンコホールから供給されたパチンコ玉が、パチンコ台を流れ落ち、その過程で「役モノ」に飲み込まれ、パチンコホールに回収されます。私にとって、パチンコホールは雇用主であり、パチンコ玉はお金です。